最終章:先輩、後輩に振り回される

「ねぇ、飲み過ぎなんじゃない?」

先輩は私が手にしていたグラスを取り上げた。
笑ってるように見えない事もないが、その顔は何処か怒ってる様にも見えた。
プイッと横を向くと先輩はツンツンと指で私の頬をつつく。

「やめてください」

「やーだよ。だって可愛いもの」

そう言うと私から取り上げたグラスをあおる。
いや、それ私のだから・・・と、言おうとした言葉を遮る。

「あ、間接キスしちゃった」

何を言うかと思えば。
ニコリとして先輩はグラスをテーブルに置く。

「今時の子供でも、そんな事言いませんよ」

呆れて言うと、そう?と先輩は笑う。

「俺、純情なの」

そうですか、そうなんですか。
だったら人のグラスに口付けんなよと心の中で悪態をつく。
一応、目の前に居るのは先輩だし、仕事も出来るし信頼も尊敬もしてるが。

「もう、そのグラスはいいです。違うお酒注文しますから」

「だーめ。アンタは飲み過ぎ。そんなに飲めないくせに。もうお酒は終わりにしよ?」

はい、と、水の入ったグラスを渡される。
いやいやいや、と心の中で突っ込む。
私が飲みたいのはこれじゃないんですけど!
先輩を無視して店員さんを呼ぶ。

「すみませーん!梅酒・・・」

「あ、キャンセルでお願いします」

被せてきやがったぞ、こいつ。
絶対に飲ませないつもりだよ、この人。
・・・一体、誰の所為だと思ってるんだ。
あまり飲めない酒を煽るように飲んでる私も私なんだけど。
勢いに任せてテーブルをバンッと叩いてみる。

「お、なによ?何かに反論でもあるの?」

頬杖つきながら、首を傾げる感じで先輩は私を見る。その綺麗な顔に、うっとたじろいでしまうけど負けない。
ちゃんと言うんだ・・・
ハッキリ言ってやる!

「先輩、ハッキリ言わせてもらいます」

「んー?なぁに?俺の事好きになってくれたの?」

薄い唇の端をニヤリと上げて私の顔を覗き込む。その言葉と態度に苛立ちは一気に頂点に登った。

「あ、あんたね!」

キッと先輩を睨み叫び出す私におくびもせず、あいも変わらず頬杖ついて表情一つ変えず先輩はニヤついている。
腹立つわぁ、この人。

「先輩に対してあんたはないでしょ?」

いや、私の中ではあんたでちょうど良いんだよ!

「酔ってるからって!そ・・・そうゆう事言うのやめて下さい!その冗談は質が悪いですよ!」

「酔ってない。俺はこれぐらいの量じゃ酔わないよ。酔ってるのはアンタでしょ。態度も口も悪いしね。それと冗談じゃないからね?だから俺のものになって?」

どこが酔ってないのか。どこが冗談じゃないのか。
さっきから好きだの何だの言ってるけど、先輩程の人が私を好きだなんて絶対ない。あんなに綺麗な女の人に囲まれてるくせに。
嘘だ、絶対。冗談に決まってる。酔っ払いの戯言だ。

「俺、真剣にアンタと付き合いたいんだけど」

「はい、嘘。先輩モテるんだから私みたいなつまらない女に時間使うより、綺麗な人口説くのに時間使った方が有益ですよ」

「いや、嘘じゃないし本気だからね?それとね、私みたいなって自分を下卑するような事を言うんじゃありません」

先輩はわしゃわしゃと私の頭を撫でた。なんでこの人はいつも私に優しいんだろう。私に優しくしたって何の得にもならないだろうに。

「私で遊んで、からかって楽しいですか?」

ポツリと呟けば、わしゃわしゃと私の頭を撫でていた手がパシッと頭を叩いた。

「いたっ」

「馬鹿」

「叩くなんて酷い!」

「酷いのはアンタ」

私の頭を叩いた手が、次は私の頬をかなり強くつねる。手加減なしなのか。

「あたたたたたっ。にゃひすゅるんれすか」

「アンタ、本当酷いよ」

---そんな顔、しないでよ。
今にも泣き出ししうな顔、しないでよ。胸がざわめき立つからそんな顔見せないで。

「さっきからなんなのよ、嘘とか冗談とか。本気でアンタの事好きなのよ?遊んでもからかってもないし、なのになんでそんな風にするの?どうやったら伝わるの?」

先輩が顔を伏せて、テーブルに置いていた私の手をギュッと握る。
何故か。
私は何故かその手を振りほどけなかった。
だって先輩の手は震えてて、伝わってくる筈の体温は冷たくて。

「先輩」

「・・・」

「先輩」

「・・・なによ」

「いじけてます?」

「・・・いじけてますよ」

なに、この人やっぱり可愛いんだけど。たまにこの人が見せる可愛いところ。私の心をくすぐる可愛い部分。
こんな可愛い人初めて見たんですけど。

「先輩。私、何処をとっても部通じゃないですか」

「・・・普通じゃないよ」

「普通なんです。自分で言うのもなんですが顔も普通、性格も普通。何かにつけてど普通なんです」

「だから普通じゃなよっていってるでしょ?」

震える先輩の声は泣いているようで、飲めないお酒をあんなに飲んで酔ってたのがスウッと覚めていく。
清らかな水が乾いた砂を潤すような感覚に私の脳が覚醒し始める。

「先輩素敵だし、私じゃなくても良いじゃないかって思ったんです。先輩の周りのにいる女の人達は綺麗な人ばかりで、私は足元にも及びません。だから冗談だって」

「俺はアンタが良いの。アンタじゃないとダメ。アンタを越す女なんていない。俺にとってアンタ以外の女はその他大勢に過ぎない」

おずおずと顔を上げた先輩の頬は、これでもか!と言う程真っ赤だった。湯気でも出るんじゃないかと思う程。瞳には今にも零れ落ちてしまいそうなぐらいの涙。
いつも戯け調子でどんな時も余裕があって、男性なのに綺麗な顔をした先輩は、今はいない。今いるのは、余裕がなくて瞳を涙で潤ませ顔を真っ赤にした可愛らしい子供。
酷く焦っているのが自分でも分かった。

「先輩、やっぱり酔ってますよ。も、もうやだなー!酔っ払いは!」

「だから、酔ってない。誤魔化さないでちゃんと話聞いてよ」

いつもは見せない真剣な眼差しに私は息を飲んだ。その目に嘘がないのが分かった。あまりにも必死すぎて。必死に縋るような子供みたいで。

「アンタの笑顔が凄く綺麗で、一瞬で恋に落ちたよ。自分でもまさかって疑いもした。今まで一目惚れなんて信じてなかったから。でもアンタの事を知れば知る程アンタにハマってた」

「・・・」

「アンタの隣は居心地が良くて癒される。俺の周りにはそんな女いなかった。アンタが初めてだよ、俺を変えてしまったのは。俺をこんなに夢中にさせたのは」

だから、お願い
俺を好きに、なって
俺だけのものになって
アンタがいれば、何もいらないから
と、切なく呟く。
心の奥底から愛しさが込み上げて苦しくなる。

「出ましょう」

「え?」

「もう限界です」

「え?」

泣きそうな顔で呆然としてる先輩の手を取って、レジでお会計をお願いする。
一人は泣きっ面、もう一人はしかめっ面。店員さんが私たち二人を交互に見ているけど気にしない。それどころじゃない。
先輩がおずおずと財布を差し出したの有難く受け取り、自分のお金と合わせて支払いを済ませると先輩の手を掴み、引っ張るように店の外に出た。

「ちょっと!どこ行くの?!」

「うるさい、黙って下さい」

そう言うと先輩は大人しくなった。でも掴まれた手は振りほどかず、むしろ強く握り返してくる。
あーもう。
あーもう。
何も求めず一人で良いと思っていたのに。
私はこの可愛い人が愛しいと思ってしまった。欲しいと分かってしまった、この人を。
全身がこの人を激しく求めだして止まらない。
繁華街を抜け出し、しばらく歩くとひっそりと静まるオフィス街の片隅で先輩を背にしたまま足を止めた。

「先輩」

「ん?」

「私が欲しいですか?」

「え?」

「欲しい?」

「・・・欲しい」

なら

「下さい。先輩を」

「え」

「私をあげるから、先輩を私に下さい」

「・・・」

「先輩が欲しいです」

身体が後ろに引っ張られてバランスを崩した。
倒れる!と、思うと同時に背後から先輩の腕に包まれて抱きとめられていた。

「アンタって人は・・・!」

私の肩口に顔を埋める先輩がグスッと鼻を啜る。背中から先輩の体温と鼓動が全身に伝わって、先輩に包まれてる実感が湧く。
ああ、なんだか心が満たされる。

「先輩泣き虫ですねー」

「うるさいよ」

私の耳元で囁く声は低く、でも甘くて切なくて胸がキュッとなる。頭がクラクラして息をするのも難しく思えて、どうにかなりそうだった。
一瞬にして、私の心を掻き乱したこの人は

「ズルイです」

「何言ってんの。アンタの方がズルイでしょ。俺を振り回して」

「振り回してなんかいません」

「いーえ!振り回してます」

チュッと頬に先輩の唇が軽く触れると、そこからジワジワと身体が熱くなっていくのが分かった。嫌じゃない、この感じ。
むしろ、もっと欲しい。

「突き放す思えば、急に俺を欲しいとか言い出して。十分振り回してるでしょ」

「先輩だって」

「俺が言うからそうなんです」

潰れてしまいそうになるほど抱きしめられて苦しいのに、気持ちはフワフワと宙に浮いてしまいそうになる。
これって先輩の事好きなのかな、とか、幸せってこんな感じなのかな、とか。
随分と昔に経験したであろう感情を記憶の底から思い出して、心がくすぐったくなる既視感に確信する。

「先輩のものになったんで幸せを感じてます、今」

「何か色々と飛ばすよね。突拍子もないというか」

ま、そんなとこも良いというか何と言うか・・・と、先輩が微妙な感じでフォローを入れる。

「そうですかね?アハハ」

「アハハってアンタね・・・」

「じゃあ、ウフフ?」

「もう」

不貞腐れたような返事をする先輩の顔を見たくなって、モゾモゾと身体を先輩に向けて動かした。
困惑したような笑みを携えて、先輩の瞳が私を捉える。

「ねぇ、俺の事、好きになって・・・くれたの?」

私はウーンと首を傾げ、先輩の頭に手を伸ばし引き寄せた。それでも届かなくて、精一杯背伸びをし目を閉じて先輩に口付けをした。
顔を離して目を開くと、これでもかというぐらいに先輩の目が大きく開いていた。

「こんな事したいって思うぐらい、先輩の事想ってますよ」

目を合わせているのが恥ずかしいのか、先輩は斜め右上に目を移動させ私の背中を抱きしめていた右手で口元を隠す。
私を抱く左手はそのままで。

「本当アンタには参るよ」

先輩は私の額を小突く。でも痛くなくて、じゃれ合うような優しさに自然と笑顔になるのが自分でも分かった。

「その笑顔も俺だけのものだからね」

私の顔を包み込む先輩の両手。
さっきまで冷たかった先輩の手は、私の体温で温まって同じになる。それが気持ち良くて嬉しくて、先輩の手を握り目を閉じると先輩の唇が私の唇に重なった。

「絶対に離さない。アンタが嫌って言っても離さないからね。覚悟しときなさいよ」

「なら、先輩が嫌って言っても離れたりしませんから、先輩こそ覚悟して下さいね」

先輩が私の何にツボってハマったのか。まだ漠然として分からないけど、私は一瞬にしてこの人を欲してしまった。
これが恋と言うのならば、それで良い。だって先輩は私の心を乱した人なのだから。

「ちなみに」

「なんですか?」

「俺を欲しいって身体も含めてよね?」

「うわっ・・・なにニヤニヤしてるんですか」

「えーだってそうじゃない?」

「・・・」

「いーよいーよ、今すぐあげちゃうから!だから俺にも今すぐアンタを・・・」

「あんたね!!」

ガツッと頭を殴る音が闇夜に響いたとか響かないとか。
二人だけが知る秘密・・・って訳でもない。