泣く子と笑う子
少し広い道を歩いていた。あてもなく何かに誘われるようにひたすら歩いていた。
見渡す視界に映るのは、一面広がる森。空は暗く色のない様に見えた。森さえも、その緑を失いかけているように映る。
どれぐらい歩いただろう。
歩いても歩いても、そこには森しかなく同じ風景が流れていくだけ。
立ち止まり後ろを振り返ってみると、無かったはずの大きな大きな水溜りが出来ていた。
それは歩いてきた道を塞ぐ様に大きく、そして広く。
”なんで”とか”どうして”とか思わなかった。”水溜りが出来ている”としか思わなかった。
”あって当然”と当たり前のような感じだった。
前を向くと、子供が二人。
一人は笑って、一人は泣いていた。同じ顔で。
笑う子は私の手をとり、大きな水溜りを指差し
「もう戻れないんだよ。」
楽しそうに言う。
水溜りに目をやると、悲しい気持ちになり無性に戻りたくなった。
「もう戻れないんだよ。」
楽しそうな声に振り向くと、笑う子の姿は消えていた。
ピチャンと水が跳ねる音に驚き、水溜りを見ようとした時、泣く子が私の手をとり、黒く切り取られた景色を指差し
「もう進むかしないんだよ。」
静かに言った。
進んで来た道の風景の先は本当に切り取られていた。闇でもない黒い空間が口を広げていた。
今まであったものが無くなっている違和感に恐ろしくなり、後ずさりをする私に
「もう進むしかないんだよ。」
もう一度私に告げる。
嫌だと呟く私の手をキュッと握り、強い力で黒い空間へ連れて行こうとした。
「そっちには行きたくないの。何も無いから嫌なの。」
やっと出た言葉は空へ吸い取られ虚しくも消えていく。
「戻ったら、もっと何もないんだよ。もっと悲しいんだよ。もう、あの人はいないんだよ。それでも戻るの?」
泣く子は握っていた手を離すと、ニタリと口元を歪ませた。その顔に躊躇したものの、引き返す。
大きく広い水溜りを覗き込むと静かに水面が揺れる。
緩やかな波を見つめていると、あの人との思い出が次々に現れてきた。
昨日までは・・・
別れる事は決してないと確信していた、根拠なんてなかったけどそう思っていた。あの人と私は永遠だと信じて疑わなかった日々はもうどこにもない。
腰を下ろし、無意識に水溜りに手を伸ばすと水面に笑う子が現れ、私の手をひっぱり水溜りの中へと引きずり込もうとする。
懸命にもがいて振り払おうとすると子供達の声が頭の中で響いた。
「戻りたいならこっちにおいで。その代わりもう新しい場所には行けないよ。」
笑う子の声が聞こえる。
「ねぇ、本当は解ってるんでしょ?戻ってみたってあの人は戻らないって。」
泣く子の声が聞こえる。
「あの人に、思い出にすがりついたって悲しみは何処にもいかないよ。」
そして、遠くでもう一人の私の声がした。
「だって、あの人は、もう私の事・・・、好きじゃないもの。」
あの日からずっと我慢していたものが一気に弾けた。強く抑えていた、グッと殺していた激しい感情。
「そんなの解ってる!言われなくても知ってる!!」
大声で怒鳴っていた。子供達に対してなのか自分に対してなのか、そんなの構わなかった。
涙とか悲しみとか痛みとかがこみ上げてきて憎しみに飲み込まれそうになる。それは際限なく溢れ出し、涸れる事とはない様に思えた。
「そんな事・・・解ってるから・・・」
泣きじゃくり私の手を引っ張る力は無くなり、しりもちをついてうな垂れた。
「あの時、解ったつもりでいた。現実を受け入れたつもりだった。でも、あの人が居ないなんて耐えられない・・・。」
存在が当たり前になっていた日々は、知らない間に深い溝を築き上げ、その深い溝を埋めようとしていたあの人に気づけず失った。
いきなり消えてしまった幸せに生きる意味を見出せずに気力を奪われた。
「お姉さん、人はね悲しみで一杯になると悪魔が心を蝕んでいくんだよ。」
「だからね、悲しくても少しでも前に進まなきゃ悪魔に捕まって戻れなくなるんだよ。」
地面に子供達の影が並んで映る。
声にならない声を絞り出し、子供達に訴えた。
「・・・先に進もうとするとね、思い出すの・・・あの人の事を。良い思い出ばっかりが甦ってきて戻りたくなるの・・・。」
「悪魔はね、ふとした時に顔を出すんだ。思い出は悪魔に変わって心を蝕んでいくんだ。」
すこし間を空けて笑う子は、あやすかの様に優しく言う。小さい手が私の頭を撫でる。
「だけど、まだあの人が好きなの。私の事、好きじゃなくてもいい、傍に居て欲しいの・・・。」
「悪魔はね、思い出にすがる人や過去にすがる人を引きずり込んで、泣く姿をみて喜ぶんだよ。」
小さく息を吐いて泣く子は諭すかの様に言う。小さい手が私の頬を撫でる。
「前に進みたい。あの人の事なんか忘れてしまいたい・・・。でも一人は嫌・・・。辛いよ!」
「皆、はじめは一人だよ。誰かに出会って永遠になるかならないかだけで、本当は誰だって一人で孤独なんだ。」
「ここに居ても戻っても、お姉さんはずっと一人で孤独なだけだよ。だったら辛くても進んでいけば何かが変わっていくんだよ。」
子供達は「さぁ。立って顔を上げてごらん。」と促す。立ち上がると「空が綺麗だね。」と子供達は嬉しそうにしている。
笑う子は満面の笑みを、泣く子は初めて見せる笑顔で笑っていた。
「今はまだ悲しくて辛くて戻りそうになったとしても忘れないで、少しでも前に進む事を。」
「思い出はね、戻れないから良い事しか残らないんだよ。戻れないから思い出に変わるんだ。忘れないで、過去があるから今があって、今を乗り越えて未来に進めるんだよ。」
私の手を握る子供達の手が熱くなり、眩い光に私達は包まれていった。
「お姉さんは一人じゃないよ、周りを良く見てごらん。そしていつか絶対に笑える時がくるからね。」
とても遠くで子供達の最後の声が聞こえた。
目を覚ますと私は泣いていた。夢だと認識するまでに時間を要した。
可笑しな事に今見た夢なのに鮮明には思い出せずに、おぼろげな感覚しか残ってなかった。
天井を見つめ涙が止まるのを待ち、起き上がってカーテンを開けると数日続いた雨は止み、太陽が眩いほど輝いていた。